1950年(昭和25年)公開の松竹映画『長崎の鐘』。
物語の主人公は、放射線医学の研究に人生を捧げた永井隆博士。
永井博士役には若原雅夫、その妻・緑役に月丘夢路。
「長崎の鐘」「この子を残して」「ロザリオの鎖」「生命の河」「亡びぬものを」等の永井博士の著書をもとに、その半生を描いた作品です。
作品情報
【時間】94分/モノクロ
【配給】松竹
【原作】永井隆
【監督】大庭秀雄
【出演】若原雅夫/月丘夢路/津島惠子/滝澤修/三井弘次/薄田研二/青山杉作/清水一郎/髙堂国典/奈良眞養/土紀就一/村瀬禅/加藤順子/高松栄子/山田英子/谷川浩子/山本多美/小藤田正一/遠山文雄/手代木国男/小原修/土田慶三郎/川村禾門
【後援・指導】長崎市・国際文化都市/長崎縣公共事業部/長崎国際文化協会/聖パウロ会/東京芝浦電機株式会社/平塚共済病院放射線物療科
【※写真のみ登場する人物】ホルツクネヒト教授/キュリー夫人/アルベルス=シェーンベルク教授
あらすじ
長崎医科大学の卒業式を数日後に控えたある日、隆(若原雅夫)は急性中耳炎に罹り耳を悪くしてしまい、希望していた内科へ進むことを諦め、放射線研究の道へと進む。
やがて下宿先の娘・緑(月丘夢路)と結婚し、子どもをもうけるが、放射線の影響で隆の体は徐々に蝕まれ…。
ロケ地
東京大学医学部附属病院 内科研究棟
長崎医科大の設定で登場する建物は、おそらく東大病院の内科研究棟(現存せず)。
開始から9分過ぎ、隆(若原雅夫)が放射線物療科へ初めて出勤するシーンで外観が映る、東大の図書館に似た建物。
グラバー邸
クリスマスの日のお昼に、聖歌が聞こえるなかで隆と幸子(津島恵子)が海を眺めながら会話をする場所は、グラバー邸。
大浦天主堂
復員した隆が緑(月丘夢路)と一緒に教会から出てきて、それを幸子が陰から見ているシーンは、大浦天主堂での撮影。
ただし、教会内部で隆と鈴木神父(青山杉作)が話すシーンは、どこでの撮影なのか不明(大浦天主堂の内部ではないと思う)。
山王神社 二の鳥居
原爆投下後の復興作業のシーンで、山王神社の二の鳥居(一本柱鳥居)が映る。
浦上天主堂
鈴木神父が隆のもとにやってきて「明日からまた鐘が鳴ります」と伝えるシーンで、浦上天主堂の仮鐘楼が出てきます。
ラストは、浦上天主堂で1949年(昭和24年)5月に行われた聖サビエル四百年祭の再現シーンで締められます。
主題歌・挿入歌
主題歌
☆「長崎の鐘」藤山一郎
☆「いとし吾が子」池眞理子(※劇中での使用なし)
(☆印:OPにクレジットがある曲)
挿入歌
- 「ローレライ」ジルヒャー
- 「しずけき」カトリック聖歌集111番
- 「主はわたしに言われた」グレゴリオ聖歌
- 「神の御子は今宵しも」讃美歌111番
- 『エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)』より「アレルヤ」モーツァルト
- 「アヴェ・マリア」アルカデルト
楽曲使用シーン
- 「長崎の鐘」
・タイトルバックで流れる。
・隆(若原雅夫)が「この子を残して…」と綴るシーンで流れる。 - 「ローレライ」
隆ら長崎医科大学の学生たちのクラス会で歌われる。 - 「主は私に言われた」
・クラス会のあと、下宿先の部屋で隆と山下(三井弘次)が語り合うシーンで流れる。
・クリスマスに隆が緑(月丘夢路)に頼んで教会に連れて行ってもらうシーンで、教会のミサで歌われる。 - 「しずけき」
隆と幸子(津島恵子)が海を眺めながら会話するシーンで、子どもたちの歌声が聞こえる。 - 「神の御子は今宵しも」
・クリスマスに教会のミサで歌われる。
・終盤、隆が子どもたちに天主様の教えを説くシーンで流れる。(インスト) - 『エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)』より「アレルヤ」
隆と緑の結婚式で歌われる。 - 「アヴェ・マリア」
教会のミサで歌われる。
MEMO
主題歌は「長崎の鐘」「いとし吾が子」の二曲ですが、「いとし吾が子」は劇中では使われていません。
音楽は古関裕而。
合唱はセント・グレゴリー・コワイアー、指揮は堀場花枝。
オルガン演奏は伊藤完夫。
児童合唱は、音羽ゆりかご会。
戦争の記憶
永井隆博士の著書をもとに、その半生を描いた本作。
戦争に関する体験についても触れられています。
永井博士も1933年(昭和8年)に招集を受け、軍医として中支戦線へ送られた話が少しだけ出てきます。
また、原爆で妻・緑が亡くなったことや、長崎の街の復興などについても、少し触れられています。
本作製作当時の日本はGHQ占領下であったため、原爆で受けた被害について詳細に触れることはできず、永井博士の人生の一場面として終盤に少し触れられるにとどまっています。
キラリ☆出演者ピックアップ
青山杉作
隆(若原雅夫)の一家が世話になっている教会の神父・鈴木を演じているのが青山杉作。
本作では、信仰というものが結構大きく扱われていて、神父という役も本作においては重要なものだと思います。
穏やかな笑みをたたえる、やさしい神父様。
キリスト教のことをあまり詳しく知らない日本人(私を含めて)がイメージする「神父様像」って、まさしく本作の青山さんみたいな感じだと思うんですよね。
外見を含めて実にしっくりくる配役だと思います。
【映画レビュー】永井隆博士、放射線医学の研究に捧げた人生。
医学博士・永井隆の著書をもとに、博士の半生を描いた本作。
急性中耳炎により耳を悪くし、希望だった内科をあきらめ放射線の研究の道へと入っていった永井博士。
放射線の研究に対する周囲の無理解にも負けず、人生の全てを研究に捧げる博士の姿を描きます。
永井博士を聖人として描くのでは無く、ときに人と衝突したりする激しい一面など、人間らしい部分も描かれています。
『長崎の鐘』というタイトルから連想されるのは原爆。
原爆についての話も出てくるのですが、終盤に少し触れられるだけで、「え、これだけ?」というのが正直なところ。
しかし、GHQ占領下では、これが限界だったのでしょう。
むしろ、そのような時代において、原爆について少しだけでも触れたということだけでも大変な意味のある作品だと思います。
物語全体としては「信仰」というものを前面に押し出しているので、宗教映画のような趣があります。
心が洗われる、とても美しい作品です。
キリスト教になじみのない人間にとっては、正直あまりピンとこない部分もあるといえばあるものの、それでも、隆(若原雅夫)が鈴木神父(青山杉作)に「私のような者でも、神の御手にすがることは許されるのでしょうか」と尋ねるシーンや、子どもたちに天主様の教えを説くシーンなどは、素直に感動をおぼえます。
日本人は無宗教の人が多いですが、特定の宗教を信仰していなくとも神様・仏様といった目に見えないものに対する信仰心を持っている人は多いと思います。
ですので、たとえ無宗教であっても、キリスト教のことをよく知らなくとも、きっと本作を観て何か心揺さぶられるものを感じられると思います。
急性中耳炎になった隆が「人間の立てた計画なんて儚いもんだ」と言うシーンがあります。
(永井博士が本当にそのようなことを言ったのかどうかはわかりませんが。)
この時点では隆はまだカトリックには入信していませんが、人間というものがいかに小さな存在か、神や宇宙という大きなものに対する信仰のようなものが、ここからも感じ取られます。
永井博士はもともとは無神論者だったそうですが、しかし無意識レベルでは、篤い信仰心というものをお持ちだったのではないでしょうか。
後に敬虔なカトリック信者となるのもわかります。
終盤には、「今になってみれば、みんな神の導きだったような気がするよ」と語る隆。
本当は、誰にもこういったお導きがあるのだろうけれど、それに気づくか、素直にそのお導きを受け止められるか、そこが人生の分かれ目、本当に自分が成すべきことを成せるかどうかに繋がるのではないでしょうか。
隆がはじめて放射線物療科へ足を踏み入れたとき、上司である朝倉教授(滝沢修)が、ホルツクネヒト教授など放射線研究の先駆者たちについて触れるシーンがあり、ここに先人たちに対する敬意が感じられます。
放射線を人類のために研究する人間もあれば、大量殺戮の道具として利用する人間もいる。
放射線自体は、別に良いものでも悪いものでもない。
それに人間が何らかの意味を与えているだけであって。
それを、人間を救うためのものとして研究し、情熱の全てを傾けた永井博士。
偉大な先人たちと同様に体を蝕まれた永井博士は、本作公開から一年も経たない1951年(昭和26年)5月に亡くなっています。
長崎への原爆投下から80年近くが経ち、当時を知る人も少なくなってきている今、改めてこのような作品に日が当たることを願います。