1956年(昭和31年)公開の日活映画『ビルマの竪琴 総集篇』。
この作品は、ヴェニス国際映画祭でサン・ジョルジオ賞を受賞しています。
原作は竹山道雄の児童文学作品。
ビルマの大地を舞台に、美しい音楽を通して、戦争が人の心に残したものを描き出す、不朽の名作です。
作品情報
【時間】116分/モノクロ
【配給】日活
【原作】竹山道雄(新潮社版)
【監督】市川崑
【出演】三国連太郎/安井昌二/浜村純/内藤武敏/西村晃/春日俊二/中原啓七/伊藤寿章/土方弘/青木富夫/花村信輝/峯三平/千代京二/小柴隆/宮原德平/加藤義朗/成瀬昌彦/森塚敏/天野創治郎/伊丹慶治/市村博/長浜陽二/三笠謙/沢村国太郎/中村栄二/佐野浅夫/小笠原章二郎/登内朋子/北林谷栄
【特別出演】三橋達也/伊藤雄之助
【竪琴】阿部よしゑ
【振付】横山はるひ
あらすじ
音大出身の井上隊長(三国連太郎)は、自身の部隊の兵隊たちに熱心に歌を教え、井上小隊は歌のおかげで苦しみも悲しみも乗り越えてきた。
水島上等兵(安井昌二)は竪琴の名人であり、竪琴の演奏を合図にしながら斥候に出たり、隊員たちの合唱にあわせて竪琴を奏でたりしていた。
やがて終戦を迎え、井上小隊は投降するが、近くの三角山には終戦後も抵抗を続ける日本軍がいた。
三角山守備隊に降伏するよう説得する命を受けた水島は、三角山へと向かうが、そのまま消息を絶ってしまう…。
ロケ地
シュエダゴン・パゴダ
シュエダゴン・パゴダは、ミャンマーのヤンゴンにある寺院。
井上小隊の兵隊たちが、シュエダゴン・パゴダで竪琴の音を耳にします。
その翌日、慰霊祭の僧侶の列のなかに水島(安井昌二)らしき人物がいるのを兵隊たちが見つけます。
ただし、井上小隊(水島除く)やイギリス軍がシュエダゴン・パゴダにいるシーンは合成です。
小田原
涅槃像のシーンは、小田原市内でセットを組んでの撮影。
涅槃像を造るのにかかった総工費は当時の金額で百数十万円と、相当な額を投じて造られたようです。
ビルマの暑い夏が舞台となっている作品なので、俳優陣はとても暑そうに演じていますが、実際には小田原ロケは寒い時期に撮影されたようで、袈裟姿の安井昌二が寒そうにしながら市川崑監督と話している写真が残っています。
小田原ロケの写真を見ると、市川崑監督はじめスタッフ陣はみんな長袖を着ています。
その他
上記のロケ地のほか、日活のデータベースによると、川崎や三島・伊豆・沼津といったところでも撮影が行われたようです。
これらについては、ちゃんと裏付けができる写真・資料等が見つけられず、細かい検証ができませんでしたが、興味のある方は日活のHPで「ビルマの竪琴 総集篇」を検索して作品情報ページをご覧になってみてください(ロケ地などの情報が掲載されています)。
主題歌・挿入歌
挿入歌
- 「旅愁」
- 「黄金虫」(インストのみ)
- 「嗚呼玉杯に花うけて」旧制第一高等学校寮歌
- 「埴生の宿」
- 「もずが枯れ木で」
- 「なつかしくも浮かぶ思い」讃美歌
- 「荒城の月」
- 「信田の藪」
- 「仰げば尊し」(インストのみ)
楽曲使用シーン
- 「旅愁」
井上隊長(三国連太郎)の「歌わないか、こういうときのための合唱だぞ」という呼びかけで、兵隊たちが歌う。 - 「黄金虫」(インスト)
斥候に出た水島(安井昌二)が、合図で演奏する。
どちらの合図だかわからなかった伊東軍曹(浜村純)が「どっちの曲でありますか」と井上隊長に聞く。 - 「嗚呼玉杯に花うけて」
・歌いながら戦闘用意をする。
・兵隊たちが歌いながら踊り出て、弾薬箱を取りに行く。 - 「埴生の宿」
・弾薬箱の上に乗った水島が竪琴を弾き、ほかの兵隊たちが弾薬箱を押し運びながら歌う。
・イギリス軍が歌いながら近づいてくる ~ 井上小隊も歌い出し、英語詞と日本語詞の合唱になる。
・少年(長浜陽二)が竪琴の練習で弾いている。(インスト)
・シュエダゴン・パゴダで竪琴の音が聞こえてくる。(インスト)
・収容所にやってきた水島に向かって兵隊たちが歌う。 - 「もずが枯れ木で」
収容所で井上小隊の兵隊たちが歌う。 - 「なつかしくも浮かぶ思い」
イギリスの病院の人たちが、亡くなった日本兵の弔いに歌う。 - 「荒城の月」
涅槃像の前で兵隊たちが歌い、像の中にいた水島が竪琴を弾く。 - 「信田の藪」
水島がやってくることを期待して、収容所にいる井上小隊の兵隊たちが歌う。 - 「仰げば尊し」(インスト)
水島が別れの挨拶代わりに竪琴を弾く。
キラリ☆出演者ピックアップ
内藤武敏
ナレーションを担当しているのが、小林一等兵役の内藤武敏。
井上小隊の兵隊はたくさんいて、その中で特に目立つ役というわけではないのですが(むしろ、どちらかといえば目立たない役だと思う)、戦友の視点からの語りが入ることでいろいろと考える部分もあり、その役割は大きいかと思います。
内藤さんご自身も軍隊経験があり、昭和20年4月に陸軍に入隊し、愛媛・三島の陸軍暁部隊にいたそうです。
内藤さんの軍隊時代のお話については、NHKアーカイブスのサイトで動画を見ることができるので、ぜひそちらもご覧になってみてください。
戦争の記憶
日本兵の亡骸の山を目にし、慰霊のため現地にとどまることを決心した水島(安井昌二)…。
激戦地だったビルマでは、実際に十数万の日本兵が亡くなっています。
ちょうど本作が公開された1956年(昭和31年)2月には、政府が遺骨収集団をビルマへ派遣しています。
収集団は、1351柱の遺骨を収容し、同年3月に帰国しています。
しかし、終戦から80年近く経つ今もなお、ミャンマーには数万の日本兵の遺骨が残されて帰ってこられずにいる…という現実。
残された英霊たちが一刻も早く日本の地に帰ってこられることを、願ってやみません。
【映画レビュー】ビルマの赤い大地と鎮魂歌
「戦争が終わってからもうずいぶん長い年月が経ちますが…」という小林一等兵(内藤武敏)のナレーションで始まる本作。
公開されたのは終戦から11年後の1956年(昭和31年)です。
11年という年月は、戦争を経験した人間には「もうずいぶん長い年月」なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
今のわたしたちから見たら、終戦から「わずか11年後」に公開された作品なのです。
11年というのは意外に短い年月で、その間に何かが癒されるかといったら、決してそんなことはないでしょう。
『ビルマの竪琴』は1985年(昭和60年)にリメイク版も公開されていますが、戦争時代のリアルな空気がより感じられるのは、やはり本作、オリジナル版の方かな…と思います。
オリジナル版の方は実際に召集された経験のある出演者も多いため、経験した人間にしか醸し出せない空気が感じられます。
とはいえ、リメイク版もとても素晴らしいので、ぜひそちらも併せて観ていただきたいですね。
みんなとの再会を楽しみにしていた水島(安井昌二)が、なぜ帰ることができなくなってしまったのか。
そこにあるのは、筆舌に尽くしがたいほどの苦悩…その正体は、後ろめたさ、罪悪感、凄まじい葛藤…なのではないでしょうか。
そこへ湧き上がってきた人類愛的なものが彼を大きく突き動かしたのかと。
霊を慰めることは、水島自身を苦しみから救済することでもあったのかもしれません。
腑抜けの平和ボケと化してしまった今の日本人には、どれだけの想像力を働かせても、その心を本当の意味で推し量ることは難しいのかもしれません。
しかし、それでも理解しようとすることに意味があるのだと思います。
ルビーを「死んだ人の魂に違いない」という現地人に、仏教の国・ビルマの人たちの精神が垣間見えます。
そのルビーを納骨堂に納めた水島の姿にもまた、日本人の信仰心というものが見えます。
わたしがここで言っている「日本人の信仰心」というのは特定の宗教に対してのものではなく、日本人なら誰もがみんな持っているであろう普遍的なもの、神様・仏様といった見えないものに対する信仰や、自然・宇宙といった大きな存在に対する信仰のことです。
劇中で歌われ、奏でられる、童謡・唱歌をはじめとした美しい歌の数々…。
日本には古来より「言霊」という概念があり、言葉には魂が宿っていると信じられていました。
言葉にはエネルギーがあり、そして、音というものもまたエネルギーです。
本作で歌われている楽曲のような古き良き音楽には、美しい魂が宿り、慰めや包み込むような優しさに満ちている。
それが癒やしであり救いであるということを、昔の日本人は無意識の領域でわかっていたのだと思います。
あの美しい歌の数々は、井上小隊を元気づけただけでなく、英霊たちに対する鎮魂歌ともいえるのではないでしょうか。
水島が涙を流しながら「仰げば尊し」を弾くシーンは、涙なしでは見られません。
しかし、最近では、若い人のなかには「仰げば尊し」を知らない人も多いという話も聞いたりします。
曲の意味を知らなければ、水島が涙を流しながらあの曲を弾いた意味も理解できず、感動も作品に対する理解も半減してしまうのではないでしょうか。
本作に登場する曲をご存じない方は、ぜひ、曲の意味も調べてみていただけるとよいと思います。
どこまでも純粋で美しい作品であるがゆえに、残酷さが浮き彫りになります。
「ビルマの土はあかい 岩もまたあかい」
ビルマの大地の赤い色は、そこで流れた血の色と同じ色なのです。
その広大な大地をひとり歩んでいく水島の後ろ姿で締められるラスト。
そこに、英霊たちへの敬意と慰めの意思が感じられるのです。