1950年(昭和25年)公開の映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』。
製作は東横映画、配給は東京映画配給。
戦没学徒の遺稿集「はるかなる山河に:東大戦歿学生の手記」と「きけわだつみのこえ : 日本戦歿学生の手記」をもとに創作された映画です。
学業半ばで戦地へと赴いた学徒たちの、悲惨な戦いを描きます。
作品情報
【時間】107分/モノクロ
【製作】東横映画
【配給】東京映画配給
【監督】關川秀雄
【出演】東横映画新人群/東寶演技者集團/文學座/新恊劇團/第一恊團/俳優座/伊豆肇/原保美/河野秋武/信欣三/杉村春子/英百合子/沼田曜一/上代勇吉/林孝一/月京介/高原駿雄/時田一男/花澤德衛/大森義夫/稲垣昭三/河﨑保/杉義一/佐野淺夫/増渕一夫/恩庄正一/大西三郎/青山健吉/藤原英一/石丸三平/大浪東吾/古城道人/東日出男/河村満和/藤澤彰/宇津美伸/舩橋澄/夜久義夫/渡部健作/坂本正/佐々木淳/望月信雄/澤村契惠子/小﨑次郎/中島英雄/藤間廣一/菅沼正/近松龍太郎/京大映画部
【後援】日本戦歿學生記念會/東京大學消費生活恊同組合/映画サークル東大支部/全日本學生自治會總連合
【※参考:記録映像に出てくる人】東條英機
あらすじ
ビルマ戦線……本隊を見失った大木(信欣三)は、友軍を求めてさまよい歩き、柴山少佐(上代勇吉)の部隊へ合流する。
そこで大木は、教え子だった牧(沼田曜一)と偶然の再会を果たす。
大木は東京帝国大学の仏文学の助教授であり、牧はその講義を受けていた学生だった。
その部隊には、同じく東京帝大で学生運動をしていた河西(河野秋武)、第三高等学校の青地(伊豆肇)などもいたが、彼らは酷く虐げられ…。
ロケ地
東京大学
大木(信欣三)の最後の講義の回想シーンで、東大の図書館・法文1号館・安田講堂の外観などが見られます。
窓の外に安田講堂(のミニチュア)が見えるシーンなどもあり、ミニチュアの安田講堂がなんだかとてもかわいい。
河合栄治郎事件の回想シーンは、正門前で撮影が行われています。
楠木正成像前
大木の回想シーンに出てくるのが、皇居外苑にある楠木正成の銅像。
よく見ると、楠木正成像の兜の鍬形がない。
なぜ鍬形がないのか調べてみたところ、1945年(昭和20年)末に、何者かによって楠木正成像の鍬形がもぎ取られるという出来事があったようです。
その後、本作が公開された直後の1950年(昭和25年)7月に修復作業が行われています。
<※参考文献>
兜が軽くなつた楠公.サン写真新聞.1948年1月11日,1面。
鎧の紐をしめ直し 昔の姿にかえる『楠公』.サン写真新聞.1950年7月19日,4面。
明治神宮
河西(河野秋武)の回想シーンで、出征前に参拝している場所は、おそらく明治神宮。
菊の御紋が入った鳥居が映ります。
日比谷公会堂
牧(沼田曜一)の回想シーンで、敦子(沢村契恵子)と一緒に演奏会を聴きに行った会場?として登場する建物は、日比谷公会堂。
品川駅
牧の回想シーンで、出征する牧を敦子が品川駅で見送る。
第三高等学校
青地(伊豆肇)の回想シーンで、旧制三高の自由の鐘・本館正面・中央館が登場。
(※現在は京都大学になっています。)
青地は「逍遥の歌」を歌ったりもしていることから、三高出身という設定のようです。
なお、本作が公開される少し前の1950年(昭和25年)3月31日に第三高等学校解散式が行われ、旧制三高はその歴史に幕を閉じました。
明治神宮外苑競技場
ニュース映画『日本ニュース 第177號』の学徒出陣壮行会の映像が劇中に挿入されますが、その壮行会の会場となったのが明治神宮外苑競技場(後の国立競技場)。
『日本ニュース 第177號』の詳細については、「劇中に登場する映画」の項をご覧ください。
その他
上記のロケ地の他、山中のシーンでは奈良県内や宮崎の青島でも撮影が行われたようです。
なお、奈良県内でのロケ地・作品ゆかりの地については、「奈良県観光【公式サイト】 あをによし なら旅ネット」に掲載されていますので、ご興味がある方は直接そちらのサイトをご覧になってみてください。
主題歌・挿入歌
挿入歌
- 「君が代」国歌(歌なし・音楽のみ)
- 「影を慕いて」藤山一郎(歌なし・音楽のみ)
- 『白鳥の湖』より「情景」
- 「海ゆかば」軍歌(歌:杉義一)
- 「ストトン節」(歌:大森義夫)
- 「逍遥の歌」旧制第三高等学校 寮歌(歌:伊豆肇)
- 「陸軍分列行進曲」
- 「可愛いスーチャン」兵隊節
楽曲使用シーン
- 「君が代」
冒頭、敵軍の放送で流れる。 - 「影を慕いて」
敵軍の放送で流れる。
音楽を聴いた大木(信欣三)と鶴田(花沢徳衛)が「友軍をさがそう」と動き出す。
開始から31分頃に流れる敵軍の放送でも、再度流れる。 - 『白鳥の湖』より「情景」
牧(沼田曜一)が品川駅から出征する回想シーンで流れる。 - 「海ゆかば」
木村見習士官(杉義一)が歌う。 - 「ストトン節」
大町伍長(大森義夫)が歌い終わったあと自決する。 - 「逍遥の歌」
・小休止中に青地(伊豆肇)が寝転がって口ずさむ。
・青地が白旗を掲げて歩きながら口ずさむ。 - 「陸軍分列行進曲」
学徒出陣壮行会の映像(日本ニュース 第177號)で流れる。 - 「可愛いスーチャン」
水に浸かった兵隊が震えながら歌う。
劇中に登場する映画
『日本ニュース 第159號』
東條英機が議会で演説する映像が流れますが、これは1943年(昭和18年)6月23日に公開されたニュース映画『日本ニュース 第159号』の「第八十二臨時議会」の映像です。
製作は社団法人日本映画社。
東條英機が登場する日本ニュースの映像は何本もあるのですが、本作の中で使われている映像は『日本ニュース 第159号』です。
『日本ニュース 第177號』
劇中に挿入される、明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会の映像。
とても有名な映像なので、誰でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
あの映像は、1943年(昭和18年)10月27日に公開されたニュース映画『日本ニュース 第177号』の「学徒出陣」の映像です。
製作は社団法人日本映画社。
『日本ニュース 第159号』と『日本ニュース 第177号』は、NHKアーカイブスのサイトでフル動画を視聴することができますので、ぜひそちらもご覧になってみてください。
社会の出来事・事件
河合栄治郎事件
河合栄治郎事件は、東京帝国大学(現在の東京大学)の教授だった河合栄治郎が思想弾圧を受けた事件です。
マルクス主義とファシズムに対する批判を展開した河合。
1938年(昭和13年)、『ファッシズム批判』など河合の著書4冊が発禁となります。
そして劇中でも少しだけ触れられていますが、1939年(昭和14年)には、河合は対立していた土方成美とともに東京帝大を休職処分となりました(平賀粛学)。
劇中では、東京帝大の助教授だった大木(信欣三)が、河合を積極的に擁護しなかったことを後悔している描写があります。
なつかしの文学・漫画・雑誌
ジャン・タルデュー「空席」
冒頭、画面に映し出される「死んだ人々は還ってこない以上…」ではじまる詩。
これは、フランスの詩人であり劇作家だったジャン・タルデューの「空席」という詩です。
本作のもととなった遺稿集『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』に掲載されている渡邊一夫(東大教授)の「感想」の中にも、この詩が掲載されています。
モンテーニュ『エセー』
東京帝大で仏文学の助教授をしていた大木(信欣三)。
そのもとで学んでいた学徒兵の牧(沼田曜一)。
学徒出陣前の最後の講義は、モンテーニュの『エセー』についてのものでした。
「魂が真の目標を持たない時、如何に偽りの目標にその激情を注ぐことか」
これは、『エセー』(随想録)の第1巻、第4章のタイトル。
(※本によって訳は大きく異なります。)
この章は、ルカヌスの言葉を引用しながら書かれています。
ルカヌスは古代ローマの詩人。
大木は講義の中でルカヌスについても少し触れていて、ルカヌスの主要な作品として『ファルサリア』の名前が出てきます。
(劇中では、「『ファルサロース』または『ファルサルス』、フランス語では『ファルサーロ』」と言っている。)
また、モンテーニュが愛読していたものとして、古代ローマの詩人・オヴィディウスの名前も出てきます。
戦争の記憶
本作は、戦没学徒の遺稿集『はるかなる山河に:東大戦没学生の手記』『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』をもとにした作品です。
劇中の台詞には、『きけわだつみのこえ』に収められていた詩などをもとにした台詞がいくつか出てきます。
田辺利宏さんの詩:「夜の春雷」「雪の夜」
早稲田の秋山(河﨑保)がつぶやく詩。
「すさまじい夜の春雷の………ある者は脳髄を撃ち割られ…」
そして、秋山が自決する直前につぶやく詩。
「遠い残雪のような希みよ…」
これらの詩は、『きけわだつみのこえ』に掲載されている田辺利宏さんの詩、「夜の春雷」と「雪の夜」です。
(※いずれの台詞も原文と若干異なる箇所あり。)
田辺さんは岡山県のご出身で、1939年(昭和14年)に日本大学を卒業。
同年の12月に松江に入営し、その後すぐに中国へ送られたそうです。
1941年(昭和16年)に華中で戦死しています。
『きけわだつみのこえ』に掲載されている田辺さんの詩は「夜の春雷」と「雪の夜」を含めて4編のみですが、田辺さんは他にもたくさんの詩などを残されています。
田辺さんの戦線日記や従軍詩集については、1968年(昭和43年)に未来社より出版された『夜の春雷:一戦没学徒の戦線日記』(著:田辺利宏/編:信貴辰喜)にまとめられています。
こちらの本には、田辺さんが少年時代に書かれた作文なども収録されていて、その類い希なる才能にたくさん触れることができる、大変興味深い内容となっています。
武井脩さんの手記
同じく秋山の台詞より。
「まだ生きてるんだ、俺たちは。こんなにも馬鹿にされながら。それでいて俺は、一体どうしたら馬鹿になれるか、さっきから考え続けているんだ」
この台詞は、『きけわだつみのこえ』に収録されている武井脩さんの手記がもとになっていると思われます。
「死はやっぱりありのままだと俺は思うよ。滴るような死に方と絞るような死に方があると思うよ…」というくだりも、武井さんの手記から。
武井さんは徳島県のご出身で、九州大学卒業。
1942年(昭和17年)に入営され、1945年(昭和20年)5月にビルマで行方不明、戦死とされています。
淺見有一さんの手記
同じく秋山の台詞より。
「この世の中は、まるで終わらない音楽を奏でているようなものだよ…」
このくだりは、同じく『きけわだつみのこえ』に収録されている浅見有一さんの手記がもとになっていると思われます。
淺見さんも九州大学卒業。
1942年(昭和17年)に入営され、1945年(昭和20年)7月7日の千葉市空襲により戦死されています。
キラリ☆出演者ピックアップ
恩庄正一
片足の負傷兵・千葉を演じている恩庄正一。
当時のポスターや、現在販売されているDVDのパッケージなどでも大きくクローズアップされている片足の兵隊は、恩庄さんです。
この方は本当に戦争で片足を失った、本物の傷痍軍人。
1948年(昭和23年)公開の『蜂の巣の子供たち』(清水宏監督)で御庄正一名義で映画デビューしていますが、俳優をやっていたわけではなく、完全に素人でした。
たしかに、このときは素人らしく台詞に硬さが見られました。
でも、それはそれで味があってよかったと思います。
その後、同じく清水宏監督の『明日は日本晴れ』『その後の蜂の巣の子供たち』にも出演しています。
本作での熱演は本当に素晴らしいです。
本当に地獄を見た人間の悲痛なる叫びとは、こういうものなのだと…。
それを目の当たりにして、何と言ってよいものか…本当に言葉がありません。
そんなに目立つ役ではないのですが、素晴らしい俳優陣のなかにあって、彼の熱演は本当に光っています。
恩庄さんは、本作以降にも東映や松竹で何本かの映画に出演されています。
【映画レビュー】戦没学徒の悲惨な戦い…魂の叫びが聞こえる。
戦没学徒の遺稿集『はるかなる山河に:東大戦歿学生の手記』と『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』をもとに、その要素を取り出し創作された映画です。
ビルマ戦線で偶然の再会を果たした、東京帝大の仏文学の助教授・大木(信欣三)と、その教え子の牧(沼田曜一)。
同じ部隊にいる、東京帝大で学生運動をしていた河西(河野秋武)。
三高の青地(伊豆肇)、美術学校の箕田(稲垣昭三)、早稲田の秋山(川崎保)、慶応の野々村(林孝一)…などなど。
学徒たちの惨めで苦しい戦いを、美しき思い出の回想シーンを交えて描きます。
大隊長(上代勇吉)と岸野中尉(原保美)の二人は、わかりやすすぎるほどの極悪軍人として描かれています。
特に学のある学徒兵や、助教授だった信欣三にキツくあたり、ある者は虐げられ、ある者は為す術もなく悲しい最期を迎えます。
発狂してしまった山田軍曹(佐野浅夫)なども強烈です。
ちなみに、佐野浅夫は映画への出演は本作が初めてだったようです。
本作の象徴ともいえるのが、モンテーニュの哲学。
大木が牧たちを送り出す前、最後の講義での大木の台詞…
「モンテーニュの『哲学をする理由は、死に親しむことである』…この終わりの一節を申し上げて、お許しを願いたいと思います」
…この言葉で学生たちを送り出し、自らも死と向きあうことになる大木。
しかし、大木が本当に教え子たちに伝えたかったのはそんなことではなく、最期が迫りくるとき、大木は最後の講義で本当に伝えたかったことを話し始めます。
教え子の牧は先に息絶えてしまい、もはや聞いてはいないのだけれども、それを知ってか知らずか、大木は弾丸が飛び交う中で必死に講じ続けます。
それは、こう言っているようにも思えます…「本当は君たちは、自分たちは、生きなければいけなかったのだ」…と。
また、本作のもととなった戦没学徒の遺稿集『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』に収録されている詩なども劇中では使われています。
(詳細は「戦争の記憶」の項をご覧ください。)
その美しくも苦しみに満ちた言葉たちの、なんと重いことか。
死者の魂が立ち上がり、ゆらゆらと歩み出すラスト…。
これは、同じく関川秀雄監督の映画『ひろしま』でも同様の演出が見られます。
無念がにじむ英霊たちは、どこへと向かうのでしょうか。
「わだつみ」は、漢字では「海神」と書き、文字通り海の神様のことです。
最後は、神へと戻っていった英霊たちが眠る海の画で締められます。
本作の音楽を手がけているのは伊福部昭。
千葉(恩庄正一)が隊を追うシーンや、オープニングとラストで聞かれる鎮魂歌ともいえる音楽は、とても印象に残ります。
伊福部昭は本作以降、『ひろしま』『ビルマの竪琴(1956年)』などの戦争映画の音楽や、『ゴジラ』の「平和への祈り」といった音楽もつくっていますが、それらの作品に見られる鎮魂歌的な映画音楽の原点は、もしかして本作だったのかな…と、ふと思いました。
それらの作品の音楽は、みんな同じ匂いがするんです。
そして、最後にもうひとつ。
この映画を観ていて思い出したことを。
本作には、美術学校の箕田という学徒兵が出てきます。
箕田一等兵を見ていて、ある場所のことを思い出しました。
長野県上田市にある「無言館」という美術館のことです。
志半ばで夢を絶たれた戦没画学生の作品を集めた美術館で、作品と一緒に遺品も展示されています。
わたしは20年以上前に無言館へ行ったことがあるのですが、なんとも言えない気持ちになりました。
作品と遺品を目の前にして、泣きたいような、どうしようもない気持ちに襲われ、それと同時に「こうして一生懸命に短い命を駆け抜けた人たちがいるというのに、自分は一体何なんだろう」…と思ったものです。
しんと静まりかえった館内は、そこだけ時の流れが止まってしまったかのようでした。
戦没画学生の作品・遺品を集めた美術館というのは、全国的にもとても珍しいかと思います。
多くの人たちに、ぜひ機会があれば実際に行ってみてほしい場所です。
ご自身の目で、作品と遺品をしっかりと見てほしいなと思います。
直接自分の目で見ると、やはり感じるものが違いますし、とても大きな意味があることだと思います。
そして、本作のもととなった遺稿集『はるかなる山河に:東大戦歿学生の手記』と『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』も、ぜひお読みいただきたい。
この国を守るために散っていった若い命がたくさんあったことを。
そのような方々の思いに触れることが、今一度、自分自身の生き方、この国のあり方を考えることにもなるのではないでしょうか。